もののけ姫で宮崎駿が本当に伝えたいことを考察してみた件

歴代ジブリ作品の中でも「傑作」という人も多いもののけ姫ですが、

この2時間15分の物語を通じて宮崎駿監督は何を見るものに伝えたかったのか?

僕はもののけ姫は通算30回くらい見てはいますが、見るたびに難しい作品だな~と思ってしまいます。

様々なテーマや要素が含まれていて、名作ながら「最も伝えたいことはなんだったんだろう?」と考えるとすぐに答えが思い浮かばない不思議な作品です。

そもそも一義的な答え(=伝えたいこと)なんて存在しないのかもしれませんが、個人的に考察してみたいと思います。

 

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自然VS人間という文明の衝突

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見た人であれば誰でも思いつくのが、「自然と人間の文明同士の衝突」というテーマ。

このテーマは宮崎駿監督のジブリとしての初期映画にはよく取り上げられているテーマで、

「風の谷のナウシカ」にも「天空の城ラピュタ」にも描かれてました。

この2作品ともののけ姫を比べてみます。

風の谷のナウシカ

「ナウシカ」は人間が発達させた科学文明の終末世界が舞台で、

人間が汚染した空気や土を、

「腐海」と呼ばれる胞子を噴出する森が浄化させるために広がったという話でした。

腐海を焼き払い、自国の利益のために争った人間に大地が怒り、

王蟲(オウム)が大量に押し寄せます。

結果、自然を最後まで愛し続け、命をかけて風の谷を守ろうとしたナウシカの力で大地の怒りが収まります。

始終ウザキャラだったクシャナはトルメキアに撤退していきました。

ナウシカでは、トルメキアやペジテが代表する人間を「自然の尊さ・脅威を知らない愚かなもの」として描いています。

自然を愛でる、優しくも勇敢なナウシカの姿が「伝えたいこと」となってみた人の記憶に残ります。

天空の城ラピュタ

天空の城ラピュタでもこれは同じで、

科学文明を発展させ、凄まじい軍事力で天空から地上を支配したラピュタ帝国の滅亡は、

「自然を捨てた」ことであるとシータが「ゴンドアの谷の歌」を用いて語っています。

→関連記事:記事「ラピュタ滅亡の理由はゴンドアの谷の歌が物語る」

どんなに科学を発展させ武器をもっても、

驚異的な軍事力をもつロボットを操っても、

土を離れては生きられない。

だから見た後は「人間は自然に生かされている」ことを感じずにいられません。

 

もののけ姫の伝えたいことは「自然を尊ぼう!」か?

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ではもののけ姫が伝えるメッセージが「3回目だけど、やっぱり自然を守ろうぜ!!」かというと、

そう単純ではないことがわかります。

 

シシ神の森を焼き払い、森の守を追い払おうとするエボシ御前。

ナウシカやラピュタで言うクシャナやムスカと同じ役柄ですが、

彼女は単なる悪者として登場しているかというと、そうではありません。

 

「エボシ様!」と村の誰からも慕われています。

包帯を全身に巻いた病人達(その長は「彼女(エボシ様)だけが人ととして扱ってくれた・・」と言っていました)を村で匿い仕事を与え、

当時社会的に身分が低いとされた女性を大切に育て、タタラ場で鉄をつくっています。

アシタカが言っていたように、「いい村は女が元気だと聞いた」そのものとなっています。

 

要するに社会的弱者が人として働き、生きる場をつくっているのがエボシ御前です。

少なくとも「自国の利益のため」で自然を破壊するクシャナや、

 

「言葉を慎みたまえ。君は今ラピュタ王の前にいるのだ!!!」

 

と王様気取りのムスカ大佐と比べるとエボシ御前が森を焼き払う背景には理由があります。

このあたりは「自然を大切にしないといけないなー」と単純な感想で終わらない、もののけ姫の深さだと思う。

 

もののけ姫は答えを明確に提示していない

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もののけ姫の伝えたいことを難しくしている大きな理由は、

サンとアシタカの最後、別れのシーンでしょう。

アシタカがサンとともに森でシシ神の森を守るものとして生きるわけでも、

サンが人間を理解しタタラバで生きるわけでもありません。

 

お互いの世界で、お互い生きていくという終わり方です。

「やっぱり自然は大切だから、大切にしようね!」という一つの結論がメッセージだったら、

二人が別々の場所で生きていく結末にはならないはずです。

 

「自然と人間の共存」がもののけ姫の伝えたいテーマだという人もいますが、最後のサンとアシタカのシーンや「生きろ」というこの映画のキャッチ・コピーを考えると、「自然と人間の共存」の裏にもう一つの伝えたいテーマがあるように思えてきます。

 

ここまで考察してきたことを踏まえ、僕が思う「もののけ姫を通じて宮崎駿が伝えたいこと」をまとめてみます。

 

もののけ姫はアウフヘーベンの物語

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そもそも、答えを一つに決めることが正しいのか?

サルから人間に進化し、二本の足で立ち上がり、空いた両手で火の使い方を覚え、仲間をつくり文明を生み出した時点で「〇〇が正しい!」といった一義的な答えなんて存在しえなくなっていたんじゃないのか?

 

事実として、タタラバの人々が生きていくためには「喰うために」木を切る必要があるわけだし、

それができなくなってタタラバを追いやられたら

武士の牛耳る世の中で差別や不当な扱いを受けるわけだし(包帯でぐるぐる巻きの人々はおそらく生きていけない)、

程度こそあれ森を壊すことは生きるための必要手段なんじゃないか?なんて考えるわけです。

 

そういう包み隠すことない「現実」を、宮崎駿監督は表現したかったのではないかと思うのです。

 

だからこそ、自然を愛し(ヤックルとの関係を見ればわかる)人間でありながらタタリ神の呪いをその身に受けたアシタカと、

人間でありながら人間に捨てられ、山犬として人間を恨んで育ったサンという二人が必要だったのだと思います。

 

自然が一番大切だから自然を犯すなら人間は果てろ!

とか、

 

人間が生きるためには自然を壊さなきゃいけない!もののけよ失せろ!

とか、

 

そういったテーゼ、アンチテーゼの二元論で語れるものごとなんて、現代にはほとんどないってことです。

 

そうじゃなくて、

 

「すぐに答えは見つからないかもしれないけれど、第3の道(ジンテーゼ)を探すことが「生きる」ってことだよ」

 

というのを、伝えたかったんではないでしょうか?

それを、シシ神という“生と死を司る森の神”で表現したんじゃないかなと思います。

 

だからシシ神は自然側にも・人間側にも立たずに常に“われ関せず”中立だし、アシタカの呪いは溶けても呪いの跡は消えなかった。

 

まとめると、僕的にもののけ姫は現代の人間も考えるべきアウフヘーベンを伝えたい物語であったということです。

 

おしまい。

 

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