もののけ姫を徹底考察。サンとアシタカのその後を謎解き!(2/2)

ここまでで「もののけ姫」のすごさについて個人的に考察してきましたが、

次はストーリーの中身についてみていきます。

アシタカはカヤからサンにのりかえた!?(悲鳴)について

ジブリ最強のイケメンと言われるアシタカ様ですが、

よく言われるのがこの話題ですね。「アシタカってそんな軽い男だったの・・?!」と。

確かにアシタカには住んでいたエミシ一族の村に許嫁とされる「カヤ」という少女がいました。

これは宮崎駿監督も公言しているので確定です。

これは確かに頷けて、カヤかわいそう・・・

アシタカ曇りなき眼(まなこ)でカヤからもっらた小刀をサンにあげていましたからね。笑

そのほかにも「そなたは美しい」なんて発言したり、「会いに来るよ。ヤックルに乗って」なんて言ってますから、「お前まだ会うんかい!」って。

普通に考えると「カヤからサンに心変わりした」は正しいような気がします。

 

ただ僕が考えるのは、

「カヤへの想いはしまい、サンと生きていくことを選んだ」が正しいということ。

そもそもアシタカは二度と村に戻ることは許されないわけだし、

本人もそれを自覚しています。(断髪の儀式がそれでした。)

もしアシタカの決断を「心変わり」というのであれば、アシタカは二度と女性を好きになることが許されないことになります。

「カヤがいるから一生人を愛せない」となればそれは想い人ではなく単なる重い人です。なんて自分久しぶりにうまいこといったななんて思ってませんが、そう思います。

アシタカの許嫁に選ばれたくらいなのでカヤはそんなことは望まないでしょうし、ナゴの守の無念・怨念すら察することができるアシタカであればカヤの気持ちはわかるでしょう。

カヤももう二度と会えないことを決意してアシタカを送り出しました。

 

また、アシタカはもののけ姫という作品の中で「礼儀正しい」「曇りのない心」「自分の進む道を自分で決める」青年として描かれています。

呪いを受けたアシタカにヒイ様が

「誰にも定めは変えられない。だがただ待つか、自ら赴くかは決められる」

と言っていましたが、正しくこれがアシタカの性格・生き方を表しています。

 

過去に捕らわれる・運命を待つのではなく自ら運命に抗い切り開くタイプ。

これがアシタカを顔面偏差値だけでなくジブリ一のイケメンにしている所以でしょう。

だからサンに「生きろ」ともいうし、「そなたは美しい」とも言うし、カヤからもらった大切な小刀も大切なサンに渡すわけです。

まぁどう見ても「私も毎日カヤを想おう」にはなっていないのは否めませんが・・・笑 編集上の都合でしょう。

 

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サンとアシタカのその後は?

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もののけ姫の考察や都市伝説では必ず出るこのテーマ。確かにサンとアシタカはその後の関係を視聴者の想像に委ねる形で物語は終わっています。

「サンとアシタカはその後結ばれた・結婚した」というのが一部の熱烈なアシタカファンを除いた視聴者の願いだと思いますが、僕は逆にアシタカとさんは一般的にいう友人という域を越えなかったと考察しています。

 

もっと言うと、「深い関係」とかそういったところまでの想像が追いつかないという方が正しいかもしれません。

その前に、二人の関係においては想像したいことがたくさんあるんです。

 

そう考えている一つの根拠がもののけ姫のキャッチコピーになっている「生きろ。」という言葉。

この言葉は作中で何度か出て来るので、特別な意味を込めてこの言葉を使っていることに間違いはありません。

最後のシーンで、次のようなセリフがありました。

 

サン:「アシタカは好きだ。でも人間をゆるすことはできない」

アシタカ:「それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。

      共に生きよう。会いにいくよ、ヤックルに乗って」

ここでの「共に生きよう」はいわゆるプロポーズの言葉だったのか?

僕が女の子に「共に生きよう」とか言ったらガチプロポーズだと思われてひかれて終わるんでしょうが・・・・・・号泣

サンとアシタカのすがすがしい笑顔やこの物語のテーマを考えるに、そういった限定的な意味には思えません。

そもそもサンとアシタカはお互い恋愛感情があったのかというと、そうではないんじゃないかと思います。

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サンはアシタカに恋愛感情があるのか?

サンというキャラクターは「不安定なキャラクター」として描かれています。

モロ:「人間にもなれず、山犬にもなりきれぬ、哀れで醜い、かわいい我が娘だ。

     おまえにサンが救えるか。」

これはモロがアシタカに言った言葉です。また猩々がこんなことも言っています。

猩々:「山犬の姫助かる。人間だから。」

サンは「大丈夫。気にしない。」と言っていますが、

このセリフはサンの「本当は気にしている」という心情を表現するため意外に存在理由がありません。

つまり僕が考えるサンは「人間でありながら、山犬として人間を恨む」ことを、生まれたときから定めとして背負ってきた、それでいて完全な山犬で自分がないことに動揺をもっている、いわばアイデンティティーが不安定なキャラクターです。

そもそも本当に人間の心がなくて、山犬であったのなら、

「余計な邪魔」をして自分を助けたアシタカを助ける前に始末していたはずです。(モロの子供はヤックルから落ちたアシタカに即食い掛かっていました。)

「そなたは美しい」という言葉に動揺したのも、間違いなく山犬ではなく人間としての心です。

アシタカと出会い、少しづつ人間の心が自分の中に存在することを自覚し、

言葉にしたのが「アシタカは好きだ。」です。

今後発展する可能性は否定できませんが、恋愛感情という限定した意味では考えづらい。もっと大きな意味だと思います。

また「アシタカは好きだ。でも人間を許すことはできない。」という言葉は、

サンが初めて「山犬だから」という理由抜きに、自分の心で発した言葉だったんですね。

ではアシタカはサンに恋愛感情があるのか?

アシタカは自然と人間の共存を始終求めています。

どちらかの味方になるという思考や発想はありません。

共存することの難しさを知りつつ、悩みつつ信じる道を行動しています。キーワードである「生きろ。」は、もののけ姫においてはこういうことを表現しているのではないかと思います。

 

生きる=矛盾に悩むこと・その難しさに自分の決めた道で抗うこと

 

だから内面で矛盾と葛藤するサンに「生きろ」=(自分で進むべき道を決めろ)、「そなたは美しい」=(人間でありながら不安定なそなたは生き方が美しい)という意味ではなかったのかと考察します。間違いなくサンは美しいのですが、決して外見のことだけを取り上げて褒めている言葉ではないでしょう。

 

だからアシタカの、

「それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう。会いにいくよ、ヤックルに乗って」

は、プロポーズではなく、「人間と自然が共存する道を自らの意思で探していこう」という意味に近いと思います。

 

つまりサンとアシタカのその後は・・

森で暮らすもの、タタラバ場で暮らすものとして、

つまりは自然とそれを破壊してきた人間という、一見矛盾する概念の共存を実現するために努力していくのだと思います。

 

めちゃくちゃお似合いな二人なので、

カップルとして仲良くしていってほしいという気持ちもないではないですが、

 

共存のために努力し、その後も矛盾と闘っていくその姿を考えるのが楽しくて、「サンとアシタカが付き合う」とかそういった展開は世俗的過ぎて現時点でイメージできません。

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