秒速5センチメートルの結末が鬱というけれど・・個人的感想
こんにちは、ノアです。
「鬱映画」として名高い「秒速5センチメートル」を先日見ました。僕の場合鬱になるどころか妙な爽快感さえ覚えてスカッ!!(こういうのを躁と呼ぶのか)としたのですが、その感想やら考えたことを書きたいと思います。
「秒速5センチメートル」は空前の大ヒット映画となった「君の名は。」の新海誠監督の作品です。
この作品を調べると感想が様々で、見る人によって評価が分かれるというのは一般的に言われることですが、多くの方が「エンドまで見て鬱になった・・」・「無常すぎるもう人を信じられない・・」とか、「ここはドラクエの絶望と憎悪の魔宮か!」ってくらいに盛り下がっています。
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「秒速」は3編からなるストーリーで作られた映画
「秒速5センチメートル」は「桜花抄」・「コスモナウト」・「秒速5センチメートル」の3編からなる1時間程度の映画です。登場人物である貴樹と明里(二人とも物語登場時は小学生)を中心に、二人が大人になっていく過程で否応なく変化していくお互いの関係性や環境の中で生きていく話です。
「桜花抄」では環境の変化による大切な人との別れ、「コスモナウト」では叶わぬ恋、「秒速5センチメートル」では現実と過去からの脱却といった、いずれも「心の距離」をテーマとして描かれている作品です。
光の描写や風景の細部まで緻密に描かれているところは「君の名は。」とかぶっていると感じられる部分も多いですが、
とにかく描写がきれいで、このリアルさが作品の決して一般的なハッピーエンドではない結末にリアリスティックな華を添えている要素の一つだと分析しておりますです。
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タイトルの「秒速5センチメートル」の意味は?
個人的にはこの「秒速5センチメートル」ってタイトルはなかなか秀逸で、斬新なタイトル付けだと思ってます。
秒速5センチって微妙な速度ですよね。遅くもないし早くもないというすごく中途半端な速さ。最初聴いたときは泥酔したおっさんの歩くスピードかなとか、赤ちゃんのよちよち歩きの進行速度かなとか、頭フル回転でいろいろ考えました。
もちろんそんなことではなく・・・作中で明里が言っていましたが、「桜の花びらが地上に落ちるスピード」が秒速5センチメートルらしいです。かっこいいウンチクになりそうですが、かっこつけて披露するようなダサいことはやめましょう。たぶんこの映画の知名度は結構高いので大体の人が知ってます。
とういうか冷静に考えれば、秒速5センチメートルだと桜の花びらが地上に1メール落ちるのにも20秒かかるわけなので、実際はもっと早いでしょうね。
実はこのタイトル、新海監督がファンの方からもらったメールがきっかけで付けたようです。新海監督はイベントにて次のようにコメントしています。
「キッカケはお客様からいただいたメールだったんですね。10年前にこういう仕事を始めてからメールアドレスをずっとオープンにしていて、時々お客さんが観た感想を送って下さるんです。その中で、ある女性の方が「新海さん知っていますか、桜の花びらの落ちるスピードは秒速5センチメートルなんですよ」と言ってくださったのが、この作品の表題作のキッカケでした。何か格好いいですよね、光のスピードとかって秒速使ったりするじゃないですか。めったに使わない単位ではあるんですけど、なるほど世の中にはそういう単位があるんだなということを改めて思って、その方にメールで「次の作品のタイトルで使わせていただいていいですか」とお断りをして使わせていただきました。
ただ、実際の桜の花の落ちるスピードはもう少し速いと思うんですよ。もしかしたら10センチ、50センチあるのかも知れません、それを承知の上で作ったんですけど。でもタカキにとってアカリの言ったことが本当なのか嘘なのかは全く関係なくて、彼女が語った言葉だったということがたぶん全てなんですよね。なので、そういうニュアンスを込めることも含めて、正しいのか正しくないのか分からない『秒速5センチメートル』という不思議なタイトルにしました。」
これを読んで僕はピン!と来たんですよね。このタイトルの意味。
僕の考えでは、たぶん「秒速」という点が重要で、「5センチ」だろうが「100センチ」だろうがどっちでもよかったということです。大事なことは「たとえ1秒という小さな時間でも、絶えず変化が起きている」ということだと思うんです。
僕らが生活している中では秒速っていうのは時間を表す単位で最も小さな単位なわけで(コンピューターの世界ではミリ秒とかマイクロミリ秒とかあるらしいですがそんなもの凡人の僕は知りません)、
そういう意味では秒速ってのは「絶えず」を表す言葉だと思うんです。人間は生きている限り絶えず人との関係とか、想いとか、置かれている状況や環境が変化し続ける。貴樹と明里もその例外ではなかったわけですが、そんな超現実思考があらわされているのが「秒速5センチメートル」ってタイトルなんじゃないかというのが僕の考えです。
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「鬱」になるのではなく現実を愛そうゼッ!
って世界の中心で叫びたい気分に今なってます。すごく興奮してます。(何にかはわかりません!)
ただ、この映画を見終えた時に僕が「爽快感」を覚えたのは、たぶんアニメ映画であるにも関わらず、どこまでも人生や時間によって変わる関係性についての本質を正々堂々と語っている点が、陳腐なハッピーエンドよりも性に合っていたんだと思います。
普通に考えたら、明里は線路の向こうにいたでしょう!
万人受けする作品つくること考えたら、明里はこっち向いて頬んでいたでしょう!!
明里はめちゃくちゃ貴樹を大切に想っていたんだから、目に涙浮かべて線路の向こうに立っていたでしょう!!!
僕らは現実を美しく写すことも可能な「映画」を見ているから、そう期待するんです。
でも現実の世界ってそうじゃないですよね。
明里としていた文通だってそのうち途絶えます。
明里も新しい大切な人を見つけその人と婚約します。
昔大切だった人と運命的にすれ違っても、電車が通りすぎるまで待ってはいません。そこに彼女はいません。
これが現実であり、僕らを取り巻く世界の真実でしょう。「鬱」になる気持ちも、こういう現実的な部分の描写に成功した作品だと捉えれば、びっくりするくらい爽快感で満たされる作品に変わります。
ずいぶんネタバレしてしまいましたが、これから見る人は今回書いた視点を考えながら見てもらえると、より楽しめる作品だと思います。
ではでは!
タグ:感想, 秒速5センチメートル, 結末, 鬱
はじめまして。
「秒速5センチメートル、オチ」で検索しててこちらにたどり着きました。ヒロインはヒロインで幸せになるべく前に進んでるのだから彼もそうしないといけないんでしょうね。
俗っぽい言い方をするなら「逃した魚は大きい!だが、他にも魚はいるし、釣りだけが人生じゃないせ!がっはっは!」というか。初恋が成就しないことをバッドエンドにしちゃうとおよその人間はバッドエンドですし。
はじめまして!コメントありがとうございます!
そうですねー。初恋は実らないって言いますもんね。
アニメ作品でもそういう現実的な部分をあれだけの画力で描かれると、痛快さも覚えます。